2014年9月アーカイブ

日日是好日

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仕事机の棚にある「天衣無縫」の文字を一日に何度も眺めています。

そして、これまで目にしたモノや体験したコトのなかから「天衣無縫」を探したり、あるいは自分がめざすカタチを思い浮かべたり。

先日、『利休百首』をまとめて製本しようと、20冊分ぐらい切って折る作業をしていました。切り分けられた紙を半分に折る作業を延々とやっていると、同じページを何度も目にすることになり、知らず知らず覚えてしまったり、あるいはお茶の世界でなくても通じるモノがある、と頷いてみたり。

作業が一段落したときに、数日前に他の数冊と一緒に買い求めた文庫本を読んでみました。森下典子さんの『日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ―』というもの。

わたしは「お茶」のことはほんとなにも知らないけれども、とにかく素敵な本でした。「お茶」のお稽古をそばで見ているような感じ。教える・習うではなく、稽古を通して徐々にいろいろなことに「気づく」その過程。

先生のお点前描写

「・・・・・・」
みんなの視線が、細部まで見逃すまいとするように、先生の手元に束になって集まっていた。
しかし、どこをどう見ても、先生は特別な仕草を付け加えているわけではなかった。
何の癖も、目につく派手なそぶりもなく、略したり崩したりもせず、ふだん私たちに教えているとおり、自然にさらりと進めているだけだった。
(いったい、なにがちがうんだろう?)
きれいな山から湧き出す水は、ガラスのように無色透明で、何の匂いも癖もなく、一切喉に引っかかることなく、スーッと体にしみ込んでいくようだという。何も加えず、何も省かず......。そんな「水」のようなお点前だった。

「天衣無縫」ってこういうことなのかな、って思う。

その先生がお稽古で話すこと、あるいは話さないけれども伝えようとしていること、このあたりも興味深いのです。

「間違えるのは、かまわないの。だけどキチンとやりなさい。一つ一つの小さな動きに、キチンと心を入れるのよ」

「年月がたって慣れてくると、つい細かいところを略したり、自分の癖がでてきたりしますからね。お稽古を始めたころと同じように、細かいところにまで心を入れて、きちんとお点前することが大切ですよ」

でも、先生はお点前のことしか言わない。

先生は、言わないのではない。言葉では言えないことを無言で語っているのだった。

先生は、私たちの内面が成長して、自分で気づき、発見するようになるのを、根気よくじっと待っているのだった。

先生は手順だけ教えて、何も教えない。教えないことで、教えようとしていたのだ。

これと同じ場面が、シュティフターの『晩夏』にもありました。

誰かある人に、あるものが美しいと言うのは、その人に必ずしもその美しさを所有させることにはなりません。ただそう思わせるのが関の山でしょう。自発的にその美を所有できる人に対して、それを妨げる結果になるのは必至です。あなたには、自発的ということを予期していました。それをお待ちしていたのですよ。

そう、何でもかんでも手取り足取り教える、あるいはむりやり詰め込むような勉強とはちがう「勉強」がある。

なんだか、こういう世界っておもしろいかも、って思います。

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