2014年8月アーカイブ

天衣無縫

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小さな本工房がつくる本は美術品や工芸品ではなく、日常の生活に寄り添えるようなモノでありたいと考えています。

書物が日常的なモノかどうかは人によって違うので、微妙なところではありますが・・・。少なくても存在としては珍しいモノではないので、あとはどの程度の関わりを持てるか、ということになるのでしょうけど。

美術工芸品としての手製本に興味がないといったら嘘になりますが、かと言ってそういったものを目指すつもりはない。手袋をしないと触れないようなモノとか、ガラスケースに収められて触れることすらできないようなモノを作っても仕方がないし。

機械製本の対極にある手製本という位置づけではなく、もっと日常的な手仕事としての本作りを目指したいなと。高級な素材を使うとか、奇を衒ったものを拵えるとかではなく、もっと普通のモノでありたい、普通だけれども手仕事(ハンドメイドという語感とはちょっと違うかな)として意味のあるしごとをしたい、と。

なんてことを日々考えながら作っているのですが・・・・・・

先日まで日本橋三越本店で開催されていた「工房からの風」から50人の手仕事展、ことし秋の本展に出展する機会をいただいたこともあり、開催前から結構気になっていていました。

告知ブログに紹介されていた作品がとても素敵で、是非とも実物を見てみたい、できるなら自分の仕事場に飾りたい!という衝動にかられ、展示初日に副業先から直行しました。

tenimuhou.jpg「天衣無縫」、国分佳代さんの作品です。

文章や詩歌などが自然な出来栄えで技巧をこらした跡がなく、完璧に美しいことをいう。また、人柄などが無邪気で素朴なさま。

ほんとうは壁に掛けたいところですが、いつでも見られるようにと仕事机の書棚スペースにおきました。

書物が並んでいるところにあるのがふさわしいかどうかは分かりませんが・・・

机(ライティングデスク)の上の4つある棚のうち、下の2つはシュティフターの翻訳書が一列に並んでいる一番大切なスペース。仕事中でも目に入ってくるので私にとっては特等席扱いです。

シュティフターは私の一番のお気に入り作家で、『晩夏』は何度読み返したか分からないくらい。ところどころ鉛筆で線を引いた跡がのこっています。

そんな中の1ページ。芸術について数ページにわたって語る場面です。

「ところで、あなたは美しさを認識する手がかりとなる特徴ということをおっしゃっいましたが、そのようなものは見つからないでしょう。これこそ、古代美術の最高の作品の本質であり、また一般的に言っても最高の芸術の本質と思うのですが、最も美しい点が、個々の部分でも個々の意図にしても、どこにも見当たらない、全体が美しいのであって、最も美しいと言えるのはただ全体だけなのです。部分はただ自然であるとしか言えません。

これって、まさに「天衣無縫」ってことだな、って。

もうひとつ重なるのが、『菜根譚』にあることば。

文章も極処(きょくしょ)に做(な)し到(いた)らば、他(た)の奇(き)有ること無く、只(ただ)是れ恰好(かっこう)あるのみ。人品(じんぴん)も極処に做(な)し到(いた)らば、他(た)の異(い)有ること無く、只(ただ)是れ本然(ほんぜん)あるのみ。

知らず知らずのうちにこういった言葉から影響を受けているのだろうし、それは大切にしなければならないのだろうなと思います。あらためて、自分が目指す手製本のカタチについて考えてみるきっかけとなった言葉です。

誰かのためのしごと

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前にも書いたように、手製本というのは裏方的なしごとです。それ自体が表に出るような華やかさはない、少なくても、今の自分のしごととしてはそう考えています。

書物って、ナカミがあってそれをカタチにしたものだから、どんなにカタチが良くても、ナカミがなければ価値がない。だから、なにも印刷されていない白紙を綴じたものを書物とは呼べないし、それをせっせと作るのはちょっと違うかな、と。

たぶん、同じ手間なら(実際は同じではない!)書物よりもノートの方が手にとってもらえるだろうし、買ってもらえる可能性は高い。それを使ってくれる人がいたらなおさら嬉しいし。(使われないノートというのは読まれない本と同じようなもので、それに価値があるのかどうかはギモンです。)

だから、「はん・ぶんこ」サイズのノートは「ナカミ」はないけれども、「カタチ」を見てもらい、使い勝手を確かめてもらうためのモノととらえています。

では、ナカミのある本の中身はどうするのか?

わたしは創作系作家ではないので、文章を書いたり絵を描いたりということはできませんし、無理にやってみたところで商品価値があるものができるという保証など全くない。試みとして、小さな本工房を取材した架空の記事をまとめて一冊の本にしてみようかと考えてはいるのですが、それがどの程度受け入れられるかは・・・・・・

なにかを作って、その作品を売る。

そういうとらえ方をすると、どうしても「売れるもの」を作らなければならないということになります。

売れるモノ=お客さんが欲しいと思ってくれるもの、だとしたら、どんな需要があるのか、それにどう応えられるのか、そういったことを考えなければなりません。でも、どうしてもそれになじめない部分があるのも事実。

小さな本工房は「書物をつくる」工房という位置づけなので、本のカタチに仕立てるお手伝いをするのが一番役に立てることなんだろうな、と。

今日、ある方にお会いしてきました。手創り市でたまたま通りがかったお客様を通して偶然にも繋がりをもてた人で、小さな本工房が作った手製本をお送りしたことから、ご依頼を頂戴し、何冊か作らせて頂きました。大きな出版社を通して出版物としての著書もお持ちなのですが、少部数でも対応できる手製本にも価値を認めてくださり、ありがたい限りです。

そう、商業出版ではないからこそ、手製本が役に立てるのです。何千何万冊も必要ないけど、数冊、数十冊だけ「カタチ」にしたい、そんな需要があれば、そのときは小さな本工房がお手伝いできます。

書きためた文章や俳句、短歌をまとめて一冊にする、絵本をつくる、子供が描いた絵や言葉を小さな本にして残す、そんなささやかな出版活動(?)のお手伝い。これならできるかも。

モノではなくコトを売る、というようなことが言われます。小さな本工房も「作ったモノ」を売るよりも、「作ること」を提案したいし、案内していきたいなと考えています。

だから、私が思い浮かばないようなことでも、本のカタチにしたいというご要望があればできる限り応えていきたいし、自分で製本をやってみたいということであれば、ワークショップといったカタチでご案内していきたいな、と。

以前糸かがりのワークショップに参加されたお客さんが、自分で二冊目、三冊目を作って、実際に使っていると見せてくださいました。

その場で作っておしまい、というのではなく、作り方やそのコツなどを案内して、あとは自力で応用できるような「コト」を体験して頂けたらいいな、と。

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