2014年7月アーカイブ

森の小径

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手製本とは関係ない話題ですが・・・・・・

このサイト(ブログ)のドメインは、"waldsteig.net"です。

「小さな本工房」だとか、「手製本」、「はん・ぶんこ」とか、わかりやすいのにすればいいのに、って思うこともありますが、手製本を始めるずっと前に登録してあったので、そのまま使っています。

で、"waldsteig"というのは何かと言いますと、独逸語で「森の小径」という意味です。私の一番のお気に入り作家、Adalbert Stifter(1805--68)の作品名です。

私がシュティフターを知ったのは、1994年の7月31日、つまりちょうど20年前の今日でした。

当時、ドイツ文学(特にシュトルム)の翻訳書を蒐集していて、あちこちの古書店を歩きまわっていました。普段は土曜日ぐらいしか古書店巡りができなかったのですが、たまたま夏休みをとっていたので、普段行かないような所で立ち寄った店で偶然見つけたのが、山室静訳の『森の小径』(沖積社)だったのです。

本の帯に書かれた解説に惹かれて買い求め、その日の夜のうちに読み終えてしまい、翌日には岩波文庫の『水晶・他三編』を買いに神保町の書店まで出かけました。

帯に書いてあった文の一部です。

そして彼の作品には、天才の華麗や雄渾や、奔放な飛躍はない。彼が好んで描いたのは、言わば、野の花のような、ささやかで素朴な、いくらか少年めき、牧歌めいた小世界であり、植物めいてしずかな魂の、徐々として自立的な形成と成熟であった。

もともと、シュトルムの翻訳書を蒐集していて、いまも手元に90冊ぐらいあるのですが、それ以降はシュティフターの翻訳書を集めることに夢中になり、数年間はあちこちの古書店で探しまわりました。いまならネットで簡単に探せるけれども、自分の足で歩いて集めたので、それぞれの本に思い出があります。ネット社会が便利なのは否定しませんが、なんだか楽しみを奪われてしまっているようで、ちょっと寂しいものがあります。

古書を探してみると、割と簡単に見つかる本もあるし、逆になかなかお目にかかれないような本もあって、それこそ運の良し悪しもあるだろうし、運命的ともいえる出会いもあったり。それだけであれこれ語れそうな気がします。

最初に読んだ『森の小径』は習作集の中の作品、そして『水晶』は「石さまざま」のなかの一編ですが、いくつか作品に接するうちに、どうしても『晩夏』を手に入れたい、読んでみたいという思いが強まって、しばらくはこの本ばかり探し歩いていました。で、この年の12月28日に神保町の書店でようやく見つけることができました。

帰省のための電車代だったお金は『晩夏』ともう一冊(『晩夏』の一部を対訳にした教材です)に化けてしまいました。そんなわけで、帰省せずに、年末の三日ぐらいは『晩夏』の世界に浸り、その後現実に戻るのにちょっと苦労したくらいです。幸い年始の休みが残っていたので、なんとかなりましたが。

『石さまざま』の序文や、『晩夏』の中で述べられている言葉は、少なからず影響をうけています。一時期、『晩夏』を毎日電車の中で読んでいて、元々の表紙が取れてしまい、布で装幀し直したくらいです(このときは自分で製本をするようになっていました)。

なにかを学ぶこと、なにかを作ることについても、どこかしらつながってくるものがあって、その部分を大切にしていきたいな、と思います。

作品の中の珠玉の言葉をあつめた小さな本、あるいは、「はん・ぶんこ」サイズの習作集や彩石集なども作ってみたいな、と。

手製本の役割

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一つ前の記事で、手製本が裏方的なしごとだと書きました。

私が製本を始めたのは、単純に自分が欲しいものがなかったから。ないなら自分で作ってしまえば良いじゃないか、と。なので、最初の頃に作っていたのは、外国語の例文集や、文法便覧、単語帳みたいなモノばかりでした。

だから、誰のための本かというと、自分のためのものであって、商品として誰かに買ってもらうとか、あるいは作品としてどこかで展示するとか、そんな考えは全くありませんでした。

自分のためではなく、誰かのための本を作ったのは2006年ごろから。依頼主の方がブログに書きためた記事を一冊の「はん・ぶんこ」本に仕立てたのが始まりです。本にするためのテキストデータをお預かりして、それをこちらでレイアウト、製本して納品したもの。32ページの小さな本ですが、小さな本工房にとっては記念すべき第一号でした。

その後、今度ははがきに書いたメッセージをお預かりして、スキャン、レイアウトして「はん・ぶんこの」本に仕立てたものが第二号。こちらはテキストデータではなく、画像をもとに編集したもので、絵本のような感じです。

この本を納品した後、ご依頼主のもとから様々な人のもとに届けられ、たまたまそれをごらんになった方から手製本のご依頼を頂戴しました。私にとっては見ず知らずの人です。

はん・ぶんこサイズの小さな絵本、その紙の質感やかがり糸の風合い、手にしたときの感触などに興味を持たれたとのこと。ちょうど絵本を作ろうとしていた矢先で、本のカタチに仕立てることができないかとの相談でした。

ehon1.jpgこのときに作ったのは、「はん・ぶんこ」サイズではなく、A5判ですから、私が作るモノとしては大きい方です。

本文は60頁(12頁×5折)で、製本様式は他と同じように背表紙がないカタチで、カバーを掛けることによりタイトルが分かるようになります。

写真はかがり終えた段階。

これで50冊です。

このしごとは、小さな本工房にとって一つの転換点となりました。

まず、一夏で200冊の製本をしたこと。これはちょっと特別な事情があります。

このしごとのご依頼を頂いたとき、ほかの仕事はしていませんでした。

工房を語っているのに、「他の仕事」っていうのはおかしな話かもしれませんが、現実的に、手製本だけで生活が成り立つなんて考えていませんので・・・・・・(成り立つなら、そうしたいと願ってはいますが、要はしごとを頂けるかどうかにかかってくるわけでして)。

どういうことかというと、この年(2011年)、震災のあと、いろいろと事情があって、それまで関わっていた職場との関係を絶ち、簡単に言えば、時間はあってお金はないという状況だったわけです。だから朝から晩まで(というよりも、日中は暑くて作業にならないので、夕方から夜中まで)ひたすら仕事に専念することができたのです。

ただ「暇がある」というようなお気楽な身分ではなく、精神科に通い薬を飲んで暮らしていた頃なので、世間とつながること、誰かの役に立てるという実感を得られたのは大きな救いでもありました。ちょっと重い話になってしまうので、このあたりは省略します。

とにかく、この「時間はあってお金がない」時にしごとを頂いたことで、社会復帰につながった部分もある。これは誇張でもなんでもなく、ほんとうのことです。

ehon2.jpgこの仕事が一段落した後も、他の本をいくつか作ることになり、先日も数十冊納品を済ませたところ。

こちらは、小さな本工房が得意とする「はん・ぶんこ」のハードカバー絵本です。どちらも32ページでさほどボリュームがあるわけではありませんが、手にしたときの収まりがいいのと、開きやすさの点では自信を持ってお勧めしたいカタチです。

本そのものがさほど大きくないので、バッグやポケットにいれて持ち歩くのにちょうど良いし、そのくらい身近にあって欲しいと思うような内容の本です。

表紙と本文の印刷まではご依頼主の方が準備し、こちらに届いたら、1/4に切り分けて、折り、かがりの穴を開ける。そして表紙は芯材に糊付けして、本文と一緒にかがるように整えます。あとは一冊一冊糸でかがり、最後に表紙を整え、見返しを貼る。こんな流れで本に仕立てます。

製本家が、誰かのためにしごとをするとしたら、こういったことで役に立てるのではないか、そんなことを考えています。

本にするためのレイアウト作業や、編集作業も含めて、ご依頼頂いても構わないし、上に上げた事例のように、印刷までは準備頂いても構わないし。

漠然としてイメージが、実際にカタチになる、そんなお手伝いができたらいいな、と。

自分で書いた文章なり、絵を一冊の本にできたら・・・・・・、1冊だけでも構わないし、数十冊、百冊でも。

自費出版となるとお金もかかるし、最低ロットも多くて、ムダが多くなってしまいますが、少部数であれば手製本という選択肢も。

近々ご案内する機会があろうかと思います。

裏方的しごと

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むかし、大学で外国語を専攻していました。

専攻していた言語は今でこそメジャーな存在ですが、当時はそれほどでもなくて、なんで?って感じだったと思います。

学習環境としてはもちろん恵まれていたと思うし、ほかにやることもなかったし金もなかったので、それ相応に勉強はしました。で、3年の時に通訳案内業国家試験を受けて、免許を取得し、ちょっと通訳やらガイドの仕事をさせてもらったりもしました。

そう、当時としてはまだマイナーな外国語だったので、運良く仕事にありつくことができたような部分もあるかもしれません。いまはどうなんでしょう?本人にその気がないので全く分かりません・・・・・・

通訳の仕事は、スピーカーの発言を忠実に、言わんとしていることをくみとって、わかりやすく伝えることが役目で、決して主役になることはありません。あくまで裏方的な仕事です。

似ているけれども違うのが、通訳ガイド。こちらは自らが発信者になり、直接案内したり解説したりします。こちらはガイド自身の個性が魅力であり、武器になるわけです。翻訳の仕事は通訳のように裏方に近いし、語学教師はガイドのような側面もあるかなと思います。

直接関係ない話をしてしまいましたが、モノ作りでも、作り手の個性をおもてに出せる領域と、そうでない領域があるような気がします。

手製本の始まりが、小さな本を作ることだったので、ときに「豆本作家」と呼ばれることがありますが、どうもしっくりこないのです。豆本を作る人は少なくないのですが、豆本を作る人がみんな「豆本作家」なのかどうかは分かりません。

少なくても、私自身は、自分が「豆本作家」だとは思っていないし、そう呼ばれることには違和感がある。

文章なり、イラストなり写真なり、創作物としての作品を作り出せて、それを豆本としてカタチにするだけの技量があれば、豆本作家といっても良いんだろうけれども、私は、創作物としてのなかみを作るだけの才能は持ち合わせていないし、本のカタチにする仕立屋ぐらいのつもりでいます。

それは通訳者とか翻訳者がおもてに出ない、裏方的な仕事であるのとおんなじような。

美術品、工芸品のような書物をつくるのが目的ならば、話は別ですが、そうではなくて、普段の生活の中で手にするような本、あるいは、ちょっとだけ特別な本というのは、製本家が目立ってしまってはいけない、極力裏方に徹するべきと思うのです。

極度に華美な本、奇を衒った本、不相応に素材だけ上等な本、なかみに比して見た目だけが立派な本、こういったものを好む人もいるかもしれませんが、基本的には、書物である以上、まずはなかみがあって、余計なことを気にすることなく、なかみに没頭できるモノでなければならないと。

内容に専念するためには、書物そのものが小さすぎたり、文字が小さくて読みにくいとか、開きにくいとか、そういったことを一つ一つ取り除いていくようにしないといけない。ある意味、無意識であるくらいが一番いいものだと思うのです。

ほんとうに良い通訳者は、通訳の存在を忘れさせるくらいだし、良い翻訳は、それがもともとその言葉で書かれていたと思わせるくらい自然でなければならない。それと同じように、書物も、なかみに自然に入っていけるようなカタチでないといけない。

糸かがりの「はん・ぶんこ」の本、

これは一つの試みですが、自分で作って、自分で使うのにはこれが一番しっくりくる。

大きさ、重さ、手にしたときの感触、文字の読みやすさ、本の開きやすさ、どれもが自然なモノに感じられるのです。

そんな、作り手の存在を忘れてしまうくらい自然な本、そういったモノを目指したいなと思います。

糸かがりの本

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小さな本工房の手製本は、一本の糸でかがったものです。

製本を始めた頃は、本体部分と表紙を別々に作って最後に貼り合わせる、一般的なハードカバーの上製本を作っていました。

ただ、本のサイズが「はん・ぶんこ」やそれよりも小さい豆本の場合、開きが悪いと使い勝手が良くありません。なので、いまは背表紙がなく、かがり部分がむき出しになった本を作ることが多いのです。

通常は糸でかがった後、背の部分を糊で固めて、寒冷紗を貼って、最終的には表紙でくるむので、かがりの部分を見ることはできませんが、これを見せるわけですから、それなりに美しく仕立てることが要求されます。

実際の作品が美しいかどうかは別として、使い勝手と使い心地に関しては、他の様式で綴じたものよりもはるかに優れています。

なんと言っても、どのページも平らに開きます。これは読み物としての書物としてだけでなく、書き込み作業を伴うもののとき、非常に作業効率が高まります。実際に書き込みを伴う照合作業を行うことが多いのですが、「はん・ぶんこ」サイズで糸かがりの本は開いてもはがきぐらいの大きさなので場所をとらないし、書き込みやすいのです。

itokagari.jpg背がむき出しの本です。

どちらも一本の糸だけでかがってありますが、上は支持体としてリボンを使いました。

一方、下の方はかがっただけで、背を糊で固めることはしていません。

なので、不要になったばあい糸を切ってしまえば、バラすことができます。

上のリボンを使った方はかがった後で糊で固め、丸背になるようにカタチを整えてあります。試作品なので、表紙は厚紙がそのままむき出しになっていますが、作品として仕立てるときは紙か布で包み込んだカタチになる予定です。

背表紙があっても、開きやすいカタチに仕立てることもできないことはないので、それに近いモノができるように工夫していきたいな、と。

このように背がむき出しになっていると、強度の点で不安があるかもしれませんが、使っていて糸が切れてしまったことはありません。辞書のような使い方をしても壊れることはなかったので、これでも十分なのかなと思っています。万が一切れたとしても、かがり直せば元に戻すことができますし。逆に糊で固めてしまった本は直しにくいと思うのです。

壊れることを前提に作るのは論外ですが、シンプルなモノほど壊れにくく、壊れたとしても直しやすいのはどんなモノも一緒。だったらこれで十分なのではないかと。

とはいえ、同じ手間なら、見た目が美しい方がいいですから、表紙の素材や色にあわせてかがり糸を変えたり太さを変えたり、こうした手間は惜しみたくないな、と。

秋の展覧会では、表紙やかがり糸、そして「なかみ」など、ちょっといろいろな素材をつかって仕立てたモノを展示する予定です。

作ること

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またしても更新が滞ってしまいました。

4月から手創り市等に出展していないので、生きているのだろうかと心配されたかも。

今年はなぜか土曜日開催の月があり、どうしても出展を見合わせることになってしまいます。毎回楽しみにしてくださっているお客様(がいらっしゃるかどうかは分かりませんが)には大変申し訳ございません。

先日、ほぼ一年ぶりに代々木八幡の青空個展に出展しました。以前ここでお会いしたお客様とお話しするのが目的。30分ぐらいの予定が、1時間ぐらいおしゃべりしてしまいました。

2年前に出展した際に、たまたま通りかかったのがご縁で書物の修理を依頼され、その後手製本の注文を頂いたり。どこでどんな出会いがあるか分からないのもマーケットの魅力です。

これまで雑司ヶ谷鬼子母神の手創り市や千駄木養源寺の&SCENE手創り市がメインだったので、そこで出展している作家さんとは馴染みになっているのですが、なんとなくアウェイ感が。

そんな中で、鬼子母神の出展者である作家さんとちょっと立ち話をする機会が。

今月出版されたばかりの書物で紹介されている作家つながり。どんな話をしたのかは、ちょっと内緒ということで・・・

book.jpg昨日あたりから書店に並び始めた『作ること=生きること クラフトワーカーのもの語り』という本で小さな本工房を紹介していただきました。

11のブランド、14人の作家へのインタビュー集です。雑司ヶ谷の手創り市での一コマとそれぞれの工房を訪ねての取材がもとになっています。

写真も少なくはないのですが、文章が中心で、作家活動を始めた経緯や作品に対する想い等を丁寧に文章化してあります。

取材や撮影は冬に行われたので、この季節に写真を見ると???って感じです。小さな本工房は、冬の間はいつも「綿入れ袢纏」を着て出展しているので、店番をサボってあちこち歩き回っていても、あの人だ!ってばれてしまいそう。工房での取材のときも綿入れ袢纏でした。なんか昭和な感じを大切にしたいのかも。

そんなことよりも、この本、とても良いです!自分が出ているからというのではなく、モノ作りという意味での同業者のはなしがおもしろい。単にモノを作るだけではなく、それぞれに想いがある、だから作品に深みがあるし、響いてくるものがあるんだろうなぁ、って。

作ることに対する姿勢というか、向き合い方がしっかりしている。そうでなかったら「しごと」にはできないだろうな、って思うし。

たまたまそう思っただけなのかもしれないけれども、どちらかというと地味なモノ作りをされている作家さんが選ばれていました。

手創り市やクラフトフェア、ハンドメイド系のイベントでメインジャンルとされるものとはちょっと違う。そのあたりも興味深いところなのかもしれません。だから、なぜこれを作ってるの?って視点がおもしろい。

小さな本工房としても、いろいろと思うところがあって、手製本作家にとっての「居場所」というか、居心地の良い場所ってどんなところろなんだろうと時々考えてしまいます。これまで、豆本のイベントは何度か出展したことがありますが、自分が作りたいのは、ほんとうは豆本ではないし・・・ってのもあるし、ハンドメイド系のイベントで、「本を作っています」って言っても、なんか違う感じがしないでもない。これがアウェイ感?

なんとなく、「ハンドメイド」という言葉もしっくりこない、というのが本音(これについてはまた改めて書きます)。

小さな本工房も、手作りというよりは、手仕事という認識なので、「作ったモノ」を並べて案内するよりも、「作ること」を紹介したいなということの方が大きい。この本で紹介された作家さんの「しごと」もどちらかというとそれに近いかなと思いました。だから、作っているモノは違っていても、随所に「あっ、自分もおんなじことを考えていた!」という言葉に出会うのです。

ふだん、手創り市で自分の店番を「サボって」作家仲間とおしゃべりをしていても(実際に何度も言葉を交わしている作家さんもいます)、こんなに深いところまでは聞き出せない、でも気になる部分ではある、そんなところをライターの仲藤さんが突っ込んで、文章化しています。

取材を受けた作家仲間の反応をよむと、赤裸々に語りすぎた、といった言葉も聞こえてきましたが、もちろん、それをおもしろおかしく記事にするのではなく、作家に対するリスペクトが感じられるし、それぞれの作家から、なにを引き出そうとしたのか、全体を通して一貫しています。

どの作家さんの記事も興味深く読みました。

モノ作りに興味がある人、手創り市によく来るというお客さんにぜひ読んでいただきたい本です。紹介された他の作家さんとも直に話をしてみたくなるし、そうでない作家さんの話も聞いてみたいなぁ、と。

自ら作品を作って、直接お客さんと話をしながら商売をする、これって、とっても愉しいことなんだよね、って思います。

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