手製本である理由

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早いもので今年もあと数時間、テレビで放送中の「第九」を聞きながら記事を書いています。

ちょうど一年前は百貨店催事で年末の数日間はバタバタしていました。12月30日と31日が当番で対面販売を行うほか、そこで「実演」をするなど、めったにできない経験をしました。そこでお会いしたお客様から後日ご注文を頂いたり、秋の豆本フェスタ3で声をかけていただいたり、忙しくも愉しいイベントでした。

鬼子母神の「手創り市」は丸二年、代々木八幡の青空個展もようやく1年になりました。いつも商売っ気なしで、ほかの出展者さんやお客さまとおしゃべりばかりして過ごしています。「手製本」や「豆本」での出展者はほとんどいないため、珍しがっていただけるのはありがたいことです。

売るための「商品」として準備すればもっと稼げるのに、なんてほかの出展者さんから言われることもしばしば。分かってはいるのですが、なかなか準備が追いつかないこともあって、サンプルの展示ばかりになってしまいます。

たまに「商品」のつもりで準備しても、思ったほど売れなかったり、そんなときは気持ち的にはちょっとへこみますね・・・なので、「売るために作る」のではなく、「お客さんが欲しいといってくださるものを作る」ほうが良いなと思っているのですが、それにはまた逆のプレッシャーもあって。

お客様からご依頼を頂いて製本する場合、表紙にする布や紙をお預かりする場合もあり、またイメージをお聞きして、それに合わせて本の形に仕立てる場合もあります。とくに素材を預かっての製本の場合は、失敗が許されず、相当気を使うことになります。

手製本の作業って、後に行けばいくほど失敗の危険性が高まるような気がします。

印刷して裁断し、折ってかがるくらいであれば、やり直しができます。問題はその先で、かがり終えた後に化粧裁ちをする、その時に微妙にずれてしまって、当初よりも小さくせざるを得なくなるとか、表紙と本文とのバランスが微妙に違っていたとか、最後の最後に糊をいれたら見返しがずれたとか、糊の水分が多くて本文がふやけた感じになってしまったとか。

最近は、小さな豆本に限らず、文庫本程度の本でも背表紙がない状態で仕立てています。

豆本に関しては特にそうですが、背表紙があると、たとえ丸背にしても開くのに多少の力が要ります。綴じた部分まで完全に開くわけではないので、本文をレイアウトする際にどうしても余裕が必要になり、ただでさえ狭い紙面にテキストを十分に配置できなくなってしまいます。

なので、本のサイズは小さくても、「読みやすさ」を優先し、本文は可読性の高いフォント、サイズで組み、どのページも平らに開くように糸でかがります。これは自分で使うための作業用のノートなどをご覧いただければ、理解していただけるのではないかと思います。

小さな本工房の手製本は、基本サイズが文庫本の半分、なので「はん・ぶんこ」と呼んでいるのですが、これは使い勝手、使い心地がよいという点で、市販の書物よりも気に入っています。

A4用紙1枚に両面印刷して16ページ分、化粧裁ちをしなければゴミも出ません。

機械製本で大量に作られたものとは違う何かがあってこその手製本。

何百部、何千部、何万部もつくるのではなく、一冊単位での作業ですから、すべてが全く同じというわけにはいきません。もちろん、できるだけ効率的に、また正確に作業するための工夫はあるのですが、この点をどう克服していくか、このあたりが今後の課題になりそうです。

さて、本の形とは別に、中身のほうですが、小さな本工房は「製作系」であり、「創作系」ではないので、オリジナルのコンテンツを提供できるわけではありません。創作も製作もこなすには才能と技術の両方が必要ですが、二兎を追うわけにはいかず。ただ、創作系の作家さんとのコラボなどをすすめていけたらと考えています。

手製本である理由がほかにあるとすれば、機械で対応できない小ロットの製本が可能であること。1冊だけとか10冊、100冊程度の部数を専門業者に発注するのは難しいでしょうが、こういったものこそ手仕事の領域といえるのではないかと思います。

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