韓国語を読む

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先日書棚を整理したのだが、棚から溢れていた本が若干減った程度で、実際のところあまり片付いていない。何冊かは処分し、何冊かは古書店に買い取って貰った。

蒐集している本が「ふつう」でないため、捨てるのも売るのも気がすすまない。植物、ハーブ関係は手放したくないし、古い語学書ももったいない。ちょっとしたコレクションとも言えるものもあるし......

こんな時代だから、書籍のデジタル化が進んでいるのも納得だ。

書棚の数は学生のころから変わっていないのに、その中身はだいぶ変わったことに気づいた。

専攻が韓国語だったので、卒業前は辞書やら教材のほかに韓国語で書かれた文学作品や文法書が占めていたのに、いまは片隅に追いやられてしまい、代わりにハーブや植物民俗関係の本やドイツ文学の翻訳書が並んでいる。

いま誰かが書棚をみたら、なにをやっている人なのか想像できないかもしれない。

そんな中で生き延びた韓国語の本をいま読んでいる。韓流とはまったく無縁の本、さらりと読み流せるようなものではなく、一文一文丁寧に読み解いてみたい、そんな上質な随筆集。

気分的にはお香を焚いて、お茶を飲みながらゆっくりと味わいたいような。

ときどき辞書を引かないと解らないところもあるが、それもまた良いかなと思う。なにも考えずに読み流すよりも、いちいち立ち止まって考えながら歩くような感覚かもしれない。

そういえば、関口存男先生の文章に「遅読の讃」というのがあって、なるほどと思いながら読んだ。

辞書と首っ引きでポツポツ読む外国語には、その遅々たるところに、普通人の気のつかない値打ちがあります。それは、"考える" 暇が生ずるということです。否でも応でも吾人を "考える" 人間にしてくれるという点です。

そう、だから遅読も悪くない、いやこの訓練こそ大切なのだと思う。
速読だとか多読だとかと言われるが、丁寧に読む訓練を疎かにしてはいけないのだ。

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