古書道楽

| コメント(0) | トラックバック(0)

作業机と横の書棚をすこし片付けました。

なにせ、机ひとつの「小さな」本工房なので、きちんと整理整頓しておかないといけないのですが、実情は......いろいろなものがごちゃごちゃ状態です。

ついでに、書棚を動かして、中の書物を並べ替えたり、他の棚のものと入れ替えたり。

こういった作業って、大体思うようにはいかないものですね、さっさと棚に収めれば良いのに、手にとって眺めてしまったり。

高さが180センチと150センチの書棚のほかに、90センチの棚が4つ、それから作業机(机の上が書棚になっているライティングデスクです)にも書物があるのですが、それでも棚から溢れているありさま。この際、いらないものを仕分けしようかと思ったのですが。

作業机の上の棚に並んでいるのは大好きな作家、シュティフターの翻訳書です。これだけで80センチ分のスペースをとっています。これは「聖域」なので、仕分けの対象にはなりません。

机の横にあるガラス戸つきのスチール棚は全部で5段。今まで一番下の段には日本語と韓国語の大型の辞書があって、のこりの4段は大部分が洋古書でした。植物図鑑、植物民俗誌関係、花言葉、ハーブ、園芸書、それからイギリスのナチュラリスト、リチャード・ジェフリーズの著作集等です。最近のものはほとんどなく、19世紀後半から20世紀前半ごろのものです。

この棚は一番下にある辞書類を全部外に出して、別の本を収めることにしました。

で、代わりに並ぶことになったのは、日本語で書かれたハーブ関係の本と、以前刊行されていた「HERB」という雑誌です。

この雑誌、創刊号から休刊に至るまで全冊揃っています。1990年から1998年まで発売時に購入したもので、いろいろと思い出深いものです。今はアロマ系がはやりですが、まだそんなに注目されていなかった頃です。ちなみに、ハーブ歴は製本歴よりも長いのです。

別の棚にあるのは、シュトルムコレクションや串田孫一さんの本、外国語の教材と辞書等々。

そんなわけで、棚から出してはみたものの、収める場所がちょっと変わっただけで、結局仕分けまではできませんでした。

本の整理をしていて、なかなか作業が進まない理由は、本を見てしまうから、なんだと思います。

「読む」のではなく、「見る」のです。印刷されたページの文字の大きさや余白の取り方、活字の雰囲気、紙の質感、製本の仕方など。文庫本でも活字や余白のバランスなどでだいぶ雰囲気が違うのが不思議です。

ときどき癖がある書体で本文を組んである本がありますが、なぜこの書体なのか解らない、あるいは行間が狭すぎたり、広くて間延びしていたり、そんなところに気をとられて、内容に集中できないこともあります。

そういった本は、入手困難な古書でなければ、仕分けの対象になることが多いような気がします。

本を作るとき、もし印刷する内容を自分でレイアウトするのであれば、なるべくシンプルに、内容そのものに専念できるようにすべきと考えています。特に文字が中心で、「読む」ための本を目指すならば、オーソドックスな書体で十分だと。

洋古書の中にはドイツの本もあります。むかしの本なので、フラクトゥール書体で印刷されていて、いかにも獨逸って感じがします。これもよく見るとみんな同じでなかったり、調べてみるとおもしろいかもしれません。

それから、古書ならではの匂いとか手触りとか、書き込みや栞として挟んだであろう紙切れに前の所有者に想いを馳せたり、そんな愉しみも。

ひとまず棚に収まった書物(の背表紙)を眺めて、ひとりにやにや。ちょっと大げさですが、至福の時です。

書物には「読む」愉しみ、「見る」愉しみ、「眺める」愉しみがあるようです。

で、「作る」愉しみは......

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://waldsteig.net/mt/mt-tb.cgi/118

コメントする

Powered by Movable Type 5.2.3