2011年5月アーカイブ

豆本製作指南(その3)

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百人一首暗記帳の表紙は少し厚めの紙を折り重ねただけのシンプルな作り。
本が小さいため背表紙があるとかえって開きにくくなってしまうので、大体は同じ要領で製本する。
ただ、表紙の部分だけ紙でくるんでハードカバー仕様にすることもある。
ちょっとだけ手間がかかるが、表紙に厚みが出るので、より本らしく見える。

まず、表紙の芯になる厚紙を準備する。

必要な幅がとれるように折り筋を入れて、折った後でへらでこする。

その後で正確なサイズに切りそろえる。

一枚ずつ切っていったのだが、幅定規のおかげでどの紙も同じ大きさに揃っている。重ねてみたら木材のような美しさ。

この厚紙に表紙の紙を貼り付け、余白を切り落とす。

写真は余白の部分を切り落とすときに使っている定規。

幅15ミリのアクリル板を厚紙の辺にあわせて切ると、均等に余白を作ることができる。ナイフを使う作業で15ミリの定規だと危険なので、上に普通のサイズの定規を接着してある。こうするとナイフで手を切る危険が少なくなる。

四辺の余白を切り落としたら、次に角の部分を切り落とす。

写真はこのときに使う道具。厚紙の角の部分に定規を当てると、斜め45度に切り落とすことができる。

この定規を作ってからは格段に作業能率がアップした。しかも仕上がりも美しい。

このあとは糸でかがっていく。糸の両端は表紙の中に隠してしまう。表紙と本文紙をかがり終えたら、3辺にのり付けして厚紙を包み込む。

かがりのときに、あまり糸を引っ張りすぎないようにするとゆったりとした感じになる。

緩すぎてもいけないが、きついと小口が揃いにくくなるようだ。

対訳小倉百人一首豆本、サイズは縦74ミリ、横51ミリで112ページ。どの本も同じレイアウトになっている(これはレイアウトソフトInDesignの機能による)。

豆本製作指南(その2)

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豆本製作指南(その1)の続き。

かがり穴をあけた後は一本の糸でかがっていく。
リボンや麻を支持体にする方法もあるが、この本は背表紙を「見せる」作りになっているので、あえて何も使わずに一本の糸だけで綴じることにしている。

かがり糸にぼかしが入っているので、綴じ上がったときに色が微妙に変化するのが美しい。

装飾的な要素は排除すると書いたが、同じ手間なら美しい方が良いに決まっている。またぼかしが入っている方がかがりのときに作業がしやすいというメリットがある。

表紙を含めて15折、かがり終えるまでに大体40分ぐらいかかってしまう。

製本工程の中で一番手間がかかるところかもしれない。音楽を聴きながら落ち着いて作業するしかない。こういった作業の時はパッヘルベルのカノンが似合う。同じ旋律が重なっていくのが製本に似ているからかもしれない。

この工程を写真に撮りたいところだが、両手がふさがっているので撮影は断念。

動画で記録するという方法もあるが、見たいという希望があるかどうかも分からないので、後日の検討課題としたい。

さて綴じ終わったところ。

いつもどこかしら不満が残るが、鑑賞用ではないので、よしとしよう。本文紙がそれほど厚みがないので無理に糸を引っ張ると紙が切れてしまうし、緩いといびつになってしまう。この辺りの加減は慣れとカンに頼るしかなさそう。

背表紙をつける場合はこのあと背を糊で固めるし、見えなくなるのであまり気にすることはないのだが、見せるとなると手抜きもできない。

どの頁もきちんと開くので、本としての機能は十分かと思う。

小さくなればなるほど開きにくくなる傾向があるが、むしろ小さい本ほど背表紙をなくしてきちんと開くようにした方が良いように思う。

この本に関しては、このあとカバーをつけて(せめてタイトルぐらいは分かるようにしないと......)完成。

鑑賞用ではなく、あくまで「実用的な」豆本。

豆本製作指南(その1)

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来月開催の「てづくり豆本展」にむけて作品&商品を作成中。

なにか新作を出したいところだが、思うようなものができない。中身で勝負するのは難しそうなので、あえて地味な、でもきちんと作ったものを展示しようと思う。

先日のイベントでも展示したが、百人一首ネタで何点か製作する予定。

その中のひとつ、『百人一首暗記帳』。競技カルタの暗記に特化した豆本。

私の本は大部分が「はん・ぶんこ」だが、この本はその半分、なので私にとっては小さい部類に入る。

中身は至ってシンプルで、歌の他には「○枚札」と歌番号が控えめに書いてある。歌番号とは関係なく、一枚札(「むすめふさほせ」)、二枚札(「うつしもゆ」)の順番になっている。

糸かがり製本で、背表紙がないため、どの頁も同じように開く。この本に関してはひたすら頁をめくって覚え込むことが目的なので、装飾的な要素は排除し、その代わり実用的であることにこだわっている。

今回は特別に製作過程をご案内。豆本作りに関する参考書はいろいろあるが、ここで紹介するのは小さな本工房のやり方。作業工程よりも、効率よくきれいに仕上げるためのコツのようなものをいくつか紹介しようと思う。

A4用紙(T目)で片面に16ページ、両面印刷なので1枚の紙から32ページ分になる。印刷原稿はInDesignで作成している。

暗記帳の目的は、「決まり字」と取り札とが結びつくまで覚え込むこと。つまり、上の句のある部分まで聞いたら下の句が反射的に出てくるまで覚える。また反対に取り札を見て上の句がすぐに思い出せるようにする。

印刷は家庭用のプリンターを使っている。インク代が安くないのと時間がかかるのが欠点だが、自動両面印刷をしてくれるのはありがたい。

印刷の位置がぴったりとそろっているとそれだけで嬉しい。トレース台の上にのせて印刷の位置がそろっていることを確認した写真。本文紙7枚を重ねてあるのだが取り札の画像もテキストの位置もぴったりと合っている。

印刷された本文紙を切り分けていくことから始める。

A4→A5→A6→A7になるまで切っていく。

いちいち測らなくても同じ幅で裁断できるように幅定規を作ってある(ハンズでアクリル板を購入してカットして貰う)。この定規があると効率が上がるだけでなく、きれいに同じ大きさにそろうので余計なストレスがなくなり、先の作業がスムーズにいく。

切り分けたら次に折る作業。

一枚一枚折って、へらでなぞる。

工房で使っているのは「つげの木」のバターナイフを使いやすい角度にやすりで磨いて作ったもの。

紙を折るときの台も工房で作ったもの。左側のつきだした部分に紙を揃えるだけでぴったり揃う仕組み。

写真は「きみがためは」と「きみがためを」の頁。

テキストも取り札の画像も同じ位置になっている。

そのため小口が揃わなくなるが、これはかがる前に化粧裁ちしてしまう。 普通は綴じた後で化粧裁ちをするが、この大きさで、1ミリだけ切りそろえるのは難しいので。

すべて折りおえたら、順番に揃えていく。

単調な作業だが、少しでもラクに、楽しくするための工夫。

普通は重ねる順番に並べておいて、一枚ずつとっていくのだが、丸い回転する台の上に順番に乗せて、回転させながら一枚ずつ抜き取っていく。

回転寿司のような発想。案外これで効率が上がる。

次にかがるための穴を開ける。

そのための台を作った(ハンズで木材を調達して組み立てただけだが)。

本文紙を開いた状態で台の上にのせ、所定の位置に穴を開けていく。

頁が多いときは全部を纏めてナイフや鋸で切れ目を入れるらしいが、通常は内側から穴を開ける方法でやっている。

このあと糸でかがる作業に入るのだが、いったんここまで。

ないものを作る

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最近考えていること。

◆その1 「なぜ小さな本を作るのか?」

さて、なぜだろう?

もし、欲しい、読みたいと思った本が書店や図書館にあるなら、わざわざ作ったりはしない。

一言で言えば、「欲しい」と思ったものがないから、自分で作ってしまった、そんなところかも知れない。

小さな本を作るようになった最初の理由は、混雑した電車の中でも読めるものが欲しかったから。

満員電車の中では雑誌や単行本はおろか文庫本ですら邪魔になることもある。そんな状況なので、思いついたのが、本を小さくしてしまうこと。

そう、なければ作ってしまえばいいのだ。

なので、最初に作ったものは自分の勉強用の本ばかりだった。ドイツ語の例文集、フランス語の動詞活用便覧、百人一首暗記帳等々。

やがて、純粋に読みたいものを本にすることを考えた。

この場合、この「読みたい」文章をどうするかが問題になる。もし電子テキスト(青空文庫やグーテンベルクなど)があれば、このテキストを編集すれば良い。ジェフリーズの自然随想やシュティフターの短編などはこの方法で作った。

お気に入りの文章があるのに、電子テキストが見つからない場合は、自分で入力するしかない。

そう、なければ自分でやる。

串田孫一さんの「雑木林のモーツァルト」やシュトルムの「翻訳詩・集」がそう。ハーブガーデンの魅力についての英文エッセイは全部自分で入力した。

文章だけでなく、挿絵も含めて本をそのまま小さくすることは出来ないか、やって出来ないことはなさそう。

試しに作ったのが19世紀の花言葉の本、全部のページをスキャンして本に仕立てた。同様に「小さい魔女」や「放浪」なども同じ発想から生まれた。

本が手元にあればスキャンして小さくすることが出来るが、お目当ての本がなければ?

たまたま見つけたデジタル古書のサイト。これならスキャンの手間がいらず、そのまま本に仕立てることも出来る。これが「洋古書豆本化プロジェクト」の始まり。

本物の本を買おうと思ったら5桁の買い物になってしまう。そんなに簡単に何冊も買い集めることはできないが、これならそれ程の費用もかからずにコレクションできる。

ただし、そのための製本は自分でやらなければならないが......

これも、なければ作ってしまう、から生まれた。

◆その2 「なぜ手作り本なのか?」

本を作る理由は、その本が無いから。単純明快。

ただ、わざわざ作ろうなんて考える人はそう多くはない、と思う。

無ければ無いなりに何とかなってしまうわけで、どう考えても必要不可欠なものではない。書物も人によっては必要なものだが、他の人にとっては全く不要ということもある。つまり、万人が等しく必要としているたぐいのものではない。

そんな中で、敢えて手製本を作る意味は?

既にあるものと全く同じものを作るのであれば、手製本である必要はない。むしろ、流通している出版物の方が印刷はきれいだし、製本だって優れている。

手作り作品として、お客さんに買って頂くためには、一般の出版物にはない「なにか」がなければならない。

この「なにか」がなんなのか悩むところ。

確かに、今となっては入手困難な洋古書とあれば、オンデマンド印刷・製本でなければ見ることも出来ない。そういった意味で、手製本も少しは意味を持ってくるのかも知れない。

◆その3 「手作りのクオリティについて」

手作り作品には機械で大量生産されたものにはないクオリティが必要。だって、同じものだったら、大量生産に勝てるはずがないもの。

機械で作られた、どれも全く同じものと比べると、手製本はそれぞれが微妙に違っている。

同じ内容であっても、装幀が違えば雰囲気もがらりと変わる。同じ紙や布を使っても、柄の位置が違うだけでも印象が違うし。

機械で作られたものには敵わないにしても、ある程度の正確さ、美しさは追求したい。

上手い・下手は仕方がないにしても、丁寧に作ることは心がけるべき。

手作りが持つあたたかさ、優しさ、素朴さといったものは、どれだけ丁寧に作られているかによって評価されるものだと思う。雑に作ったものが素朴だとは言えないし、手仕事に「手抜き」はあってはならない。

製本の工程で、効率よく、美しく仕上げるための道具類をいくつか作った。

紙をきれいに折ること、綴じ糸を美しく見せるようにかがること、表紙を効率よく作ること等々、手仕事とはいえ一定のクオリティを維持し、なおかつ量産するにはそれなりの道具があると便利。

実際に豆本のための道具があるのかどうか、あったとしても、どこで買えるのか、あるいは手に届く金額なのか、そんな心配をしている間に、「ないものは作ってしまう」ほうが手っ取り早い。

「ないものを作る」
「ないものは作る」

この「作る」は、「創る」の方なのかも知れない。

いい仕事

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最近は全然見ていないので分からないのだが、いわゆる骨董品の鑑定番組で、「本物」を讃えるときに「いい仕事してますねぇ......」という言葉が出て来た。ちょっとした流行語になったような。

さて、いい仕事ってどんなことなのだろう?骨董品とか美術品のことはさっぱり分からないので、実感がわかないのだが、作品(結果)を見ただけで本物かどうか、そしてどの程度のクオリティなのかを見抜いてしまう。見えないプロセスまでも、見る人が見たら分かってしまうということだろうか。

先日、手創り市に出店。
例によって商売っ気は全くなし。昨年12月に初出店したときに、せめて値段ぐらいはつけるべきと悟ったのに相変わらず値札もついていないといったありさま。

これじゃお客さんだって不安になって、(仮に欲しいと思ったとしても)買いたいって言い出せないでしょう。

正直なところ、手作りの値段ってあってないようなものでもある。勿論、材料費のように具体的に計算できる部分もあるけれど、作業代って一体いくらなのか、あるいは内容に対して商品価値はいかほどか、そんなの分からない。

実際に時給計算で考えたら、ばかばかしくてやってられないと思う。

考えるべき道は二つ。一つは、これで食っていくという覚悟で採算が合う値段を設定すること。もう一つは、儲けを出すことよりも活動そのものを認めてもらうこと。
本当ならば両方を満たせるのがいいに決まっている。でも、世の中そんなに甘くない、これも現実。

お客さんの中には、私の活動の趣旨を理解して下さる方が何人かいらっしゃって非常に励みになる。また、手作りの値段については、作家の言い値を尊重するとおっしゃって下さる方もいて、こちらが控えめに提示した金額では安いと言ってくださることもある。

手間暇を金額に直すことが重要なのではない。いまやっていることにどれほどの意味があるのか、自問自答の繰り返し。

仕事の意味、価値を評価してくれる人がひとりでも二人でもいればマーケットに出店して良かったと感じる。

出展する以上は、元を取るくらいの気持ちは必要だ。でも、売れるものを、もっと露骨にいえば、売るためのモノばかりを作るのは活動の原点とは違ってしまう。
結果として売れるのならいい、でも売るためにせっせと作るのは違う。

お客さんから、いい仕事ですね、といって頂いたのが何よりも嬉しい。

いい仕事って何だろう、って思うのだが、勝手に解釈するなら、価値のある、意味のある仕事ということになるだろう。

どんな関わり方であれ、誰かに喜んでもらえる仕事というのは金銭面の報酬よりも尊いと思う。

工房通信(5月)

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4月の工房通信を書いたのが一週間前、なのにもう5月号。確かに一週間前は4月で、今は5月なのだから嘘ではないのだが、なんとも気まぐれ。

まずはお知らせから。
今月8日の鬼子母神「手創り市」に出店します。(野外市のため天気によっては中止です。当日サイトで確認して下さい。)
↓手創り市のサイト
http://www.tezukuriichi.com/home.html

工房作業が停滞気味です。一応それなりに作業はしているのですが、簡単に言えば成果が見える仕事はしていない、そんなところでしょうか。

結果が全てというのであれば、この間何もしていなかったと言われるかも知れません。あるいは、実績が伴わなければ仕事をしたと評価されないことだってあります。現実とはそういうものなのでしょう。

でも、そうではない仕事だってあっても良いのではないか、時々思います。完成された作品がなければ、あるいはその作品が売り上げに繋がらなければそのための時間や手間は無駄だったと切り捨てられても良いのでしょうか。

時間やお金にシビアならば真っ先に「事業仕分け」の対象にされてしまいそうです。無駄を省く、浪費をせずに生産性を上げる、売り上げを伸ばす、勿論大切なことです。でも、それだけでしょうか?

ものを作る、そのためにはたくさんの時間が必要です。今の時代にあっと驚くような独創的なモノがそんなに簡単にできるとは考えにくいです。デジタルが当たり前の時代に、敢えてアナログなものづくりをしようと言うのですから時代に逆行していると思われても仕方がありません。
でも、こういう時代だからこそアナログなものが生きるとも考えています。

それから、ある程度のクオリティを生み出すにはそれなりの修行が必要です。趣味の領域であっても何年、何十年も続けている人がいます。その人にはそれだけの経験や技術があるわけですから、いくら急いでもなかなか追いつけるものではありません。

考えてみると、手仕事って語学の勉強と似ているなと思いました。
私は大学で外国語を専攻していました。自分の経験が役に立っているとすれば、物事には時間がかかるというあまりにも当たり前のことを身を以て体験したということでしょう。最初の一年は教科書の内容を覚えることと基本語彙を覚えることで精一杯。まとまった文章(小説とか随筆など)を読むようになったのは2年目の秋頃から、見通しが開けてきたのが3年ぐらい経ってからでした。
その時に通訳案内業の国試を受けました。その後も真面目にとは言いがたいのですが、なんとか続けている。そんなところです。そして未だに初めてで会う表現がたくさんあります。

話を工房の方に戻します。この間工房で地道に作業を進めて来たものは、すぐに売れるとか世の中の多くの人が欲しているようなモノではありません。むしろ、非常に狭いターゲットで、その中の何人かにとっては役立つ、でもそれ以外の人にとっては何の魅力もないものです。例えばこれを完成させたところで学位が取れるほどのほどのものでもない、だとしたら、学生だって敬遠するだろうし、専門家もそんなことに時間を割くことはしないでしょう。

ただ、こういった一見無駄と判断されてしまいそうな、事業仕分けの対象にされるようなものを全て排除してしまうのは如何なものか、それが心配でなりません。

世間の需要が少ないからと言うだけで切り捨ててしまうのは簡単なことです。大量生産は大量消費が見込まれるから成り立つのでしょう。でも、ごく少数の、限られた需要にたいしてどれだけの供給が可能なのか、それについては、小さなところで細々とでもやっていくべきなのでしょう。

私自身も悩みながら作業を進めています。この作業がたとえ報酬と結びつかなくても、いろいろな意味で技術・技能の向上につながるし、創意工夫のヒントを得ることにも繋がっているのは事実です。

お金を稼ぐこと(だけ)が仕事ではない、ということを感じています。

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