書物のこと

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対訳百人一首豆本の第二集を制作中。先に作った第一集は手元にある本と図書館から借りてきた本に基づいているが今つくっているのはネット上にあるテキストをもとに日本語と対訳形式に編集する。

どうしても「印刷された書物」がないと不安になってしまう。ネットで情報を得ることは手軽だし便利なのは認めるが、安易に扱えるというのは逆に心許ない気がする。

印刷された書物でなければいけないという理由はないのだが、たぶん、自分がアナログ人間だからなのだろう。でなければ、デジタル書籍をわざわざ印刷して製本するなんてことはしないだろう。

本を作ることは、昔から漠然と考えていたことだった。でも、それらしいものを作るようになったのはそんなに昔のことではない。

さっき書棚の本を何冊か取り出して眺めてみた。1930年代ごろのハーブの本、そういえば最近開いていなかった。いつ挟んだのか忘れてしまったが、ウッドラフというハーブの葉っぱが出て来た。そういえば他にもマージョラムやセージ、タイムなんかをあちこちに挟んだ記憶がある。四葉のクローバーはドイツから取り寄せた古書に前の持ち主が挟んだものだった。

書棚から取り出して、頁をめくると古書のにおいがする。本によって紙の手触りやにおいが違う。本のにおいなんて普段考えることはないが、実際に違いはある。実際、洋書と和書では違うし、中国の書物には中国のにおいが、ロシアの書物にもロシアのにおいがする。
書店に入ったときに最初に感じるのも書物のにおいなのかも知れない。

新刊書にはあまり興味がない。毎週のように丸善に寄ってあれこれ眺めて、時々購入するのだが、ずっと手元に置いておく本は案外少ないかも知れない。蔵書の整理をするとしても、結局片付くのは新刊書籍ばかり。古書は増えることはあっても減ることはない。
第一、引き取ってもらおうにも買い取ってくれる見込みはほとんどない。そのくらい一般ウケしない本ばかりなのだ。

よほどのことがない限り手放す気はないのだが、それにしても変わったコレクションだと思う。大体、専門家でもないのに100年以上も前のヨーロッパの本があること自体フツウではない。読める読めないは別として、中身もかなり偏っているし。

さっき取り出して眺めていたハーブの本はちょっと特別な、思い入れのあるもの。ハーブの世界にのめり込んで、和書だけでは満足できず本場の資料を集めようとせっせとネットで買い集めたもの。少しずつ増やしていったのだが、これだけの本を一度に集めようと思っても財政的に無理だろう。これらの書物を無駄にしないためにも、いかす方法を考えなければならない。

久々に手にした書物を眺めながら、いまなぜ本を作っているのか、手作りの本の意味は何か、そしてデジタルでは味わうことができない、「もの」としての書物について考えた。

手元に書物、とくに古い書物がなかったら、小さな本工房の活動もなかったのではないか、と思う。

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