2009年2月アーカイブ

豆本にしたい作品

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去年あれほど夢中になっていた豆本作りだが、年末から全然活動していない。
やる気が出ない、集中力が続かないので仕方がない部分もあるのだが、回復したらまた作りたいものがいくつかある。

今読んでいる韓国語の随筆集、気に入ったものだけ集めて小さな本に仕立ててみたい。
もともと豆本を作り出したきっかけが、混雑した満員電車の中でも読めるものが欲しかったから。これまで作ったのは、例文集や単語集、百人一首暗記帳のような勉強用のものが多かったのだが、純粋に読みたいものを本にしてみたいという気持ちもある。

さて、この随筆集を豆本にするのに、縦組みにするか横組みにするか、ちょっと悩んでいる。今読んでいるのが縦組みなので、縦に組んだ方が雰囲気が出るかも知れない。

本文の紙や書体にもこだわりたいし、表紙もちょっと良いものを使ってみたい。韓国の伝統的な紙、韓紙を使って装丁してみようか、そうすると洋装でなく韓国式に綴じるとか......
作るのは先のことになってしまうかも知れないが、あれこれ考えるのも楽しみのひとつ。

本当は、前から注文を受けていたものに取りかからなければならないのだが......

2年2月22日に

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今日は2月22日、「2」が三つ重なる日だが、19年前の平成2年の2月22日に交付された免許証がある。手元にある通訳案内業免許証がこれ。

平成元年に試験を受けて、同じ年の12月1日が合格発表。国家試験なので、合格すると官報に名前が載る。

当時の受験票、結果通知票が残っているので、確認してみると、平成元年7月16日(日曜日)東京大学にて一次試験(外国語筆記)、平成元年10月1日(日曜日)国立教育会館にて二次試験(面接)、平成元年10月22日(日曜日)東京大学にて三次試験(邦語筆記)。

現在の試験はちょっと違うみたいだが、当時の合格率は10%ぐらいだったと思う。
一次試験は外国語(朝鮮語)の筆記試験で時間は120分。なぜか調子が良くて、1時間程度で解答し終えて会場の外に出た。

二次試験は会話と人物考査、試験官が3名だったと思うが、一人が大学の教授で、もう一人も知っている先生。こういう試験で知っている人が試験官というのはちょっと恥ずかしい。
この試験に合格した後で、政府系の通訳の面接を受けたことがあるのだが、そのときの面接官も大学の別の教授だった(やっぱり恥ずかしい)。

一次と二次は何となくトントン拍子で合格したのだが三次試験は結構焦った。
試験科目は、イ.日本地理、ロ.日本歴史、ハ.産業、経済、政治及び文化に関する一般常識。
三次試験は落ちても、翌年再受験できるが、やっぱり一度でクリアしたいもの。ガイド試験対策講座(二日間の集中講義)を受けて、一月ぐらい集中的に勉強した。

この試験は外国人も受けることができて、朝鮮語や中国語は母語話者も二次試験まで(語学の試験なので)は残る。ただし三次試験は日本の歴史や地理なので、勉強しないと太刀打ちできない。日本人としてはここで負けるわけにはいかないという気持ちと、三次で落ちると「語学馬鹿」のレッテルが貼られてしまうという焦りから、このときばかりは本気だった。

どの程度の成績だったかは分からないが、何とか合格。語学よりもこっちで苦労するのはあまり好ましい話ではないかも。

あのときの勉強は試験対策が目的だったので、試験に合格した後はほとんど忘れてしまった。これじゃ、実際に仕事にはならないだろう......

合格した後、ガイドの研修会に参加したり、大学の期末試験があったりで、免許の申請を行ったのが2月15日。ちょうど一週間後の2月22日に免許が交付されたという次第。

ちなみにこの免許証は変更事項がない限り更新手続きは不要なので、ずっと同じものを持っている。写真も貼ってあるのだが、その写真も19年前のものということ。当時は若かったなぁ、としみじみ。

「時間をもつ」書物

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昨日の日記で教育のことについてちょっと引用した『晩夏』だが、昔読んだときに鉛筆で線を引いた箇所がたくさんあるので、そのところを拾い読みしてみた。

なんだか癒された気分。一番大切な本かも知れない。いや、一番大切な本だ。
この作品に出会えたことに感謝しなければならないし、翻訳書を集めることができたことに感謝しなければならない。出会ったタイミングが翻訳書を集める最後のチャンスだったと思う。

今はネットでいろいろと探すことができる時代ではあるが、それでも机の上の書棚に並んでいる本を集めきるのは難しいだろう。いま手元にあるシュティフターやシュトルムの翻訳書はほとんどが1990年代に神保町や早稲田の古書店を歩き回って集めたもの。ネットで購入したものはほんの僅かにすぎない。

おっと、話がそれてしまいそう。この『晩夏』という作品について、リルケがこういっているそうだ

「それは、アーダルベルト・シュティフターの詳細な小説『晩夏』です。世界でもっとも急ぐことがなく、もっとも均斉がとれた、もっとも平静な書物の一つです。そして、まさに、それ故に、非常に多くの人生の純粋と穏和が働きかける書物です。あなたがまだ "時間をおもち" にならなければならない間は、幾時間か、この小説に耳をお傾けになるのがよろしいと思います。と申しますのは、この書物も時間を持っており、あたかもこの世には急き立てたり、慌ただしい思いをさせたり、おびやかしたりするものがないかのように、いわば、永遠の生の節度をもっているからです。......(この小説は、物静かな穏やかな人によって、ゆっくりと朗読されなければなりません)」

(『晩夏』の訳者による解説から)

まさに「今」が晩夏の言葉に耳を傾けるべき時なのかも知れない。そう考えると、病気とはいえ「時間をもっている」今がなんだか贈り物のように思えてくる。

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