語学はやり直せる!

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『語学はやり直せる!』というとても魅力的なタイトルの新書を読んでいる。今年の2月に出たもの。そのときに一度読んでいるので、今回は再読ということになる。

一応語学とは関わりがあるので、この手の本はなるべく読むようにしている。
「語学はクールに」というのがこの本のキーワード。そう、こういう感覚が必要なのだ。どうせやるなら楽しくなくては。

なにを「楽しい」と感じるかは、人それぞれだろうから、みんな違ってもかまわない。
「修行」のような読解も、楽しみのための読書となれば苦にならない。むしろなぜこのような表現を選んだのだろうとか、この表現は使えるとか日本語だったらどう表現するだろうか、などと考えてみる俄然楽しくなる。

この本の中に、こんなことが書いてある。

あるとき、ふと考えた。わたしが外国語を学ぶ価値はどこにあるのだろう。
たとえば、学生時代はロシア語を一生懸命にやってきた。お金も時間もかなり割いてきたつもりだ。それでも、ふつうのロシア人ほどの運用能力を身につけることさえ、この先もどうやら難しい。では、勉強してきたことは無駄なのか。そんなことはないだろう。それでは悲しすぎる。だったら、わたしがロシア人より有利なことは、いったい何なのだろうか。
そうか、日本語ができることなんだ。

まじめに(?)外国語に取り組んで、ある程度できるようになったとしても、所詮ネイティブにはかなわない。そんなときに救いになるのが母語、すなわち日本語なのだ。

その言葉が話される国で生活するなら、運用能力を身につければ十分だ。そうでなくて、語学を仕事と結びつけるのであれば、日本語力が何よりも重要だ。

外国語学習の本などを読むと、「○○語で考える」などと言っているが、その感覚はどうしてもなじめない。読書をするときに、いちいち日本語で考えずに、○○語で理解しろと言われても、そんなに簡単なことではないと思う。むしろいちいち日本語で考えてしまうことの方が多い。変な話だが、韓国語の本を読んでいるときは、日本語を意識するし、日本語の本を読んでいるときは、韓国語を意識する。
つまりこっちの言語に置き換えたらどうなるかを考える。会話の時だって同じ、自分が言いたいことは日本語で考えている。語学力がまだ未熟なせいなのかもしれないが......

でも、この訓練がないと翻訳や通訳といった仕事はできない。
外国語力が未熟でも、日本語で救われている、このことは何よりの励みになる。

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