雑木林のモーツァルト

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先週、串田さんの本を見つけてから、書店巡りの愉しみがまた増えた。というわけで、今日はこれまでは滅多に入らなかった書店や、棚を眺めてみた。

あまり時間もなく、くまなく探すわけには行かなかったが、見当をつけて入った書店で数冊ずつ並んでいるのを発見してしまい、古書熱(蒐集病)がちょっと心配。

ネットで検索したら、かなりたくさんの本があることが分かった。値段の比較も在庫の有無も簡単に分かるし、その場で注文して、あとは届くのを待つだけなのだから、ネットは便利だと思う。

でも、探し歩くたのしみがなくなってしまうのはちょっと寂しい気がする。たまたま入った古書店で偶然に見つけることだって時々あるし、それが安かったら嬉しさだって二倍三倍にもなる。安いとか高いとかよりも、やはり実際に手にとって買うかどうかを判断したい。

今日、たまたま入った書店で朗読のCDを見つけた。「串田孫一随想集」というもので、西沢利明氏の朗読によるもの。

「雪の谷あるき」、「山の歌」、「雑木林のモーツァルト」、「分教場のバッハ」、「天使の翼」、「古い夜」の6篇の随想が収められている。

手元にある数冊の本にはこれらの作品はなかった。CDには随想を収めた冊子がついていたので、これを読むこともできるが、文字を追うのではなく、朗読に耳を傾けるのもわるくない。むしろ、読むよりも聴くほうがイメージしやすいのかもしれない。

そういえば、韓国語を勉強していたときも詩の朗唱テープを聴いていたし、法頂スニムの随筆を朗読したものを聴いて、より理解が深まったように思う。

◇「雑木林のモーツァルト」の中の一節

何をするにも尤もらしい理由をつけたがる人間は、散歩をするにも健康のためとか、少し頭を休めようと思って、などと言う。結局は、ぶらぶら歩いているようでも無駄な時間潰しをしているのではない、と自分を納得させるだけである。

私は無為の時を貴ぶ。無為の時を持て余すことが出来ないので、何もせずに時を過ごす悦びを、もっと上手に味わいたいと思うだけのことかも知れない。目的もなしにただ歩いていれば本を読むことも出来ないし、絵を描いたりする訳にも行かない。ただ、机の上に置いて行けないのは考えることである。そして感覚が思考を刺激する。......

◇引用ここまで

そう、「無為の時」っていいなぁと思う。こんな時間を持つことが出来れば、それが贅沢なのかも知れない。

今日は朗読を聴きながら休むことにしよう。

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