Mein Deutschとウリ・ハングル

| コメント(0) | トラックバック(0)

土曜日恒例の古書店(古書展)巡り。神保町の古書会館で毎週末に開催されている。

一通り棚を眺めて、二巡目。雑誌を綴じるファイルに"MEIN DEUTSCH"と書いてある。これはもしや......

中身を確認すると、予想通り「基礎ドイツ語」という雑誌。関口存男主宰の語学雑誌で、昭和31年「7号」から「12号」までの6冊。「1号」から「6号」までのファイルも探したが、残念ながら見つからず。でも6冊まとめて500円とは格安。何年か前に昭和10年頃の「月刊ドイツ語講座」を3冊、昭和17年の「月刊講座ドイツ語」を9冊見つけたが、そのときは1冊が500円だったから、掘り出し物と言える。

この6冊の中に、「独文和訳あの手この手」という6回の連載記事があった。心得るべき6つの原理が紹介されている。
1 独文和訳は日本語になっていなければならない
2 意が足りないよりは、むしろ意の余る方をよしとする
3 巧みとは、こまかいニュアンスを捉えることである
4 語学的にこだわるべき所は、徹底的にこだわること
5 辞書に満足な訳語をもとめるのは無理である
6 何が書かれているか、その内容にピントを合わせること。
といった具合。

ドイツ語に限ったことでないし、今の時代でも通用するはず。

巻頭随想にこんなことが書いてあった。
先日ドイツ語史の本を読んでいて、unsere Spracheという言葉の前ではっと立ちどまってしまいました。ドイツ人のその著者は当然ドイツ語にunserとつけます。けれど私にはそう呼ぶことは許されません。その時何か締め出しを食ったような気がしたのです。(中略)ところが不意にmein Deutschという言葉が心に浮かびました。そうです、mein Deutschでした。今もそうですし、これからだってずっとそうでしょう。(これは山村英子さんの文)
unsere Spracheは「私たちの言葉=ドイツ語」、mein Deutschは「私のドイツ語」ということ。

外国語を学んで感じるのは「分かるようで分からない」もどかしさ。なんとなく理解はできるし、話していることも通じるのに、どこか見えない壁というか溝があるような感覚。

そういえば、韓国語では「ウリ」という言葉をよく使う。「ウリナラ(=我が国)」、「ウリマル(私たちの言葉=韓国語)」等々。外国人である我々が「ウリナラ」といっても「韓国」ではないし、「ウリマル」はいったい日本語なの、それとも韓国語なの?

ところで、このMein Deutschという雑誌、三修社から発行されていたのだが、同じ三修社から韓国語学習誌が刊行されていた。1985年春から2年間。手元には創刊第1号(1985年5月号)と最終号(1987年4月号)がある。

かなり充実した内容で、執筆者も錚々たる顔ぶれだった。記事の一部は大学での講義資料としても使われた。当時としては画期的な雑誌だったと思うのだが、今の韓流をみると、長い時間が流れたように感じる。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://waldsteig.net/mt/mt-tb.cgi/30

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 5.2.3