2007年9月アーカイブ

紅茶と古書

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夏から秋に変わりつつある。ちょっと前までは夜になっても暑さが残っていて気持も落ち着かず、ゆっくり読書する気分でもなかった。

今はすこし涼しくなってきたし、外からは虫の声が聞こえてくる。こんな時は、夜でも熱い紅茶を飲みたくなる。そして古書を読みたくなる。

紅茶と古書の組み合わせ、そして静かに流れる音楽があればそれでご機嫌だ。

紅茶の時はバロックやダニエル・コビアルカのバイオリン、ハーブティーの時はパンフルートの演奏やヒーリング系、大体はこんな組み合わせ。普段は、朝は紅茶で夜はハーブティーなのだが、秋や冬だと夜も紅茶を飲みたくなる。

本を読むときにお茶があると、気持に余裕が持てるような気がする。そして、こんな時は新しい本ではなく、古書を読みたくなる。

自分が生まれる前に出版された本、本来なら出会わなかったであろうものなのだが、なぜか愛着がある。それこそ旧漢字旧仮名遣いなのだが、一字一字眼で追いながら読むのは、ちょっと違った感覚だ。

そして一世紀以上も前のヨーロッパの本。時間も空間も超えて手元にある数冊の本、これらがここにあること自体が不思議なくらいなのだが、しばし別の世界をさまような感覚がある。

束の間の現実逃避、このためにはおいしい紅茶と古書があれば十分だ、意外と安上がりかも・・・

ある種の言語感覚(センス)

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外国語を学ぶ時に苦労するのが発音と語彙と文法。発音(と文字)は最初に乗り越えなければならない大きな山。次が語彙、つまり単語や熟語を覚えること。これがまた終わりがないくらい延々と続く。ある意味、関わっている限り終わりがないと言えよう。

そして文法。多くの人にとって文法というと受験時代を思い出させる嫌われ者ではないかと思う。事実中学と高校で学んだにもかかわらず英文法というのがよく分からない。なので一度学び直したいと思っているのだが。

受験英語というのはすごいらしい。受験参考書を見ると、詳細に、体系的に記述してある。これだけの知識があれば、大抵のことはできそうな気がする。総合的な文法書だけでなく、英文解釈、英作文など個別のものもあるわけだから、やっぱり英語は教材が充実している。

ところが英語以外の外国語でこれほど詳細な学習文法書があるだろうか。韓国語に関しては、まだないと思う。

ところで話は変わるが、言語そのものを研究する専門家は別として、一般の人が学習する文法はいろいろな側面があると思う。外国語を学ぶとき、ちょっと頭に入れておいた方が良いのは、「理解するための文法」と、「表現するための文法」というアプローチがあるということ。

大体の場合、学ぶ外国語の仕組みを重要なものから順に、なるべく易から難へ配列し学ぶように記述してある。これは外国語そのものが中心にあるという考え方。

これとは別に、ある場面、状況を示し、それをどう表現するのかを解説するやり方。この場合は日本語が出発点となるので、自ずと日本語と外国語の発想の違いを知ることになる。特に作文や会話というのは、自分の考えを伝える手段なのだからこうした発想というのは早い時期に取り入れたら良いと思う。

たまたま書店で見つけたのが『フランス語のしくみ』、『フランス語がわかる』の2冊。
まだ途中までしか読んでないし、そもそもフランス語の力もないので評価するのはおかしいのだが、

本の帯に書いてあることを紹介しよう。
実際にフランス語が使えるようになるために必要なのは、ある種の言語感覚(センス)です。この本は、「伝えたい」という気持から出発してフランス語のしくみを整理することにより、その「ある種の言語感覚」をシステマティックに育てます。
そう、こういう本なのだ。

フランス語というと動詞の活用が次から次に出てきて、それを暗記するのに追われてしまいそうだが、ちょっと離れて、どうしてこういった体系があるのかを考えながら眺めてみると、意外と面白いのではないかと思う。

韓国語でもこんな教材があったらいいのに。いっそのこと作ってしまおうか。

それだけの力があれば......の話だが。

鉛筆と萬年筆

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近頃できるだけ手で字を書くように心がけている。

漢字の書き取り練習をしようというのも一つの理由だが、とにかくキーボードに頼りすぎるのが怖いのだ。

小学校の頃から高校の頃まではずっと鉛筆を使っていた。小学校で鉛筆は当たり前だったと思うが、中学生ぐらいからはシャープペンシルを使う人がほとんどだった。高校で鉛筆を使っていたのはクラスの中でもかなり少数派だった。

なぜか鉛筆が好きなのだ。
何故かと考えてみるに、「削る」という行為が伴うからだと思う。鉛筆は削らないと使えない。そして、削った分だけ短くなる。それが、なんとなく勉強した量を示すような気がした。

ボールペンや他のペンも、使った分だけインクが減るのだから同じ事なのかも知れないが、鉛筆の場合、一目で分かるのが気持ち良い。

鉛筆を削る作業が好きだ。
鉛筆削りで削るのではなく、肥後守で一本一本削るのが好き。
なんだか、勉強の前の儀式のような、精神統一のような行為
自慢にもならないが、鉛筆を削るのは上手いと思う。

いまも職場では鉛筆を使っている。

そして、萬年筆。
別にコレクションでもないが、手元に6本ある。どれも一様に使うというわけでもなく、普段使うのはこのうちの3本程度。それぞれ文字の太さや書いたときの感触が微妙に違う。
書き心地が軽いのは欧文用に、ちょっと重いのは日本語用に。
なんとなくだが、使い分けている。

漢字の書き取りをしようと思ったとき、一画一画をきちんと書くようにと、ちょっと重量感のあるペンを使ってみた。なかなか良い感じ。

小学生に戻ったつもりで、書き取りの練習をしてみる。

英語学習と漢字学習

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最近読んでいるのが次の2冊。

『英語学習7つの誤解』大津由紀雄著、NHK出版。
この本で著者は英語学習に関して世の中にはびこっている7つの誤解について述べている。

その7つの誤解のというのは、
◇ 英語学習に英文法は不要である
◇ 英語学習は早く始めるほどよい
◇ 留学すれば英語は確実に身につく
◇ 英語学習は母語を身につけるのと同じ手順で進めるのが効果的である
◇ 英語はネイティブから習うのが効果的である
◇ 英語は外国語の中でもとくに習得しやすい言語である
◇ 英語学習には理想的な、万人に通用する科学的な方法がある
というもの

英語を韓国語に置き換えて、自分の経験と照らし合わせてみてもまったく同じだと思う。
幸い大学の専攻科目として学んだので、このような誤解とは無縁であったが、世の中にはまだまだ誤解が溢れているらしい。

文法不要論、早期学習、留学信仰、ネイティブ神話......どこかの英会話スクールの謳い文句みたいなのが思い浮かぶ。

文法を無視した外国語学習などあり得ない。問題にされるのはその扱い方であって、文法そのものではないはず。英語が話せないのを受験英語や学校英語のせいにしても仕方がない。

小学校から、あるいはそれ以前から英語を勉強するなんて、自分では絶対させたくない。そんな時間があったら漢字の書き取りでもさせた方がずっと良い。

留学については、自分も経験がないので何とも言えない。私は在学中も卒業してからも韓国で生活し学んだことはない。

ネイティブ神話、これは根強いらしい。なぜ教師がネイティブでなければならないのか疑問だ。勿論ネイティブでなければ分からないこともあるし、発音や表現に関してはネイティブにはかなわない。しかしネイティブから習わないとできるようにならないと本気で考えているとしたら、ちょっと考え直した方が良いと思う。

この本にある7つの誤解は世間一般ではよくあることだと思う。ただこのような誤解を解かないと外国語との付き合い方が良くなるとは思えないのだ。

もう一冊は『旧字力、旧仮名力』青木逸平著、NHK出版

これは書名の通り、旧字旧仮名遣いのガイドブックのようなもの。なぜ旧字なのかというと、新字体ではなくなってしまった本来の形や意味が旧字体によって見えてくるという利点があるから。

もうひとつ、韓国語の語彙のなかでも漢字起源の語彙はとても多い。ありがたいことに字音仮名遣いを知っていると、韓国語の漢字音と日本語の漢字音との対応関係が鮮明になる。これは韓国語を学ぶ上で知っていて損はないことだ。

ちょっと長くなってしまったので、このあたりでやめておく。

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