2007年7月アーカイブ

『晩夏』のことば

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ちょっと前に、『知的生活』のことばについて書いた。今日はシュティフターの『晩夏』から。

「あなたは活動の根底を幅広くしなければなりません。

普遍的な生命力がすべての、あるいは、多くの方向で活動しているときは、あらゆる力が働いていますから、一つの力が唯一の方向をざしているときよりも、人間ははるかに満足し、充実感を持つものです。こういう場合には活動を全体として完全で強固なものとすることが容易です。

一つの方向にかたよると、精神が偏狭となり、傍らにあるものが見えなくなり、とほうもない方向に導かれます。

なにか意義のある事業をしようとして、特定の事柄に手をつけるのは、あとになって、基礎ができあがってからのほうがよろしいのです。

そうすれば、かたよった道におちいることがないでしょう。

青年時代には、あらゆる方面の勉強をしなければなりません。それが成人になってから個別的なものの役に立つのです。

こう申したからといって、人生のあらゆる方向において――たとえばあなたの場合はすべての学問においてということになりますが、――もっとも深いところまで到達しなければならないというわけではありません。

そんなことは不可能ですし、能力をこえて、殺してしまう結果となりましょう。

そうではなく、我々を包括している人生を探求し、さまざまな減少の働きを自己自身で受け止め、特に学問的に研究しなくても、それらの影響の跡を知らず識らずのうちに自己の中に刻みつける――

この点に、精神が自然のままに得た知識と、意図して養われた知識の相違があると思います。

こうして、人間は次第に人生のさまざまな出来事に公正に対処できるようになります。・・・」

ちょっと引用が長くなってしまったが、こういったことを語ってくれる先輩が身近にいたらどれほど素晴らしいかと思う。

この本は、人生の先輩の言葉として読むこともできる。

『知的生活』から

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『知的生活』という本に「現代外国語を学ぶ学生へ」という文章がある。

これは、翻訳以外にも高校の時に学生社直読直解アトム英文双書の「インテレクチュアル・ライフ」という英文テキストでも読んだのでとても懐かしい。

その中で著者ハマトンは次のように言っている。

現代外国語を学ぶ者は、常にしっかりとした大地に立たされ、自分の実力が白日のもとに隈なくさらされているわけです。自分勝手なうぬぼれで、進歩の妨げになるような錯覚に陥りそうになっても、周囲がいつまでも錯覚にひたらせてくれません。知ったかぶりをしたくなるような誘惑の種がほとんどなく、逆に、実力が白日にさらされる危険がたいへん多いということは、現代外国語の学生にとっては、結構なことなわけです。

確かにこの通りで、「自分勝手なうぬぼれ」に浸らせるような環境がないと言うことは結構なことなのかも知れない。うぬぼれているようでは進歩がなくなってしまう。

実際には、うぬぼれるほど出来もしないという自覚はあるのでこのような危険はないとは思うが、常に謙虚でいることも難しい。

卑屈になる必要もないが、ある程度は自信を持つことも必要かと思う。

バランス感覚が大事だということだろうか。

『晩夏』と『知的生活』

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タイトルの二つは本の名前で、どちらも愛読書。

『晩夏』は13年ぐらい前にはじめて読んで、その後何度も読み返した本。

文学全集の中の1冊だが、ある時期ほぼ毎日鞄に入れて持ち歩いていたため、カバーが破けてしまい、自分で製本クロスで装丁し直した。気に入った文章のところには鉛筆で線が引いてあるが、そこだけを集めても結構な分量になると思う。

『晩夏』以外のシュティフター作品も好きなものが多く、今でも書棚の一等席に並んでいる。

そしてもう一冊がハマトンの『知的生活』。英語のタイトルは"The Intellectual Life"。こちらはシュティフターよりも更に古く、高校の時に買ったもの。ハマトンは『知的生活』、『知的人間関係』、そして『ハマトンの幸福論』の3冊がハードカバーで出ている。

普段読むのは、講談社学術文庫のなかの『知的生活』だが、こちらも気に入ったフレーズには線が引いてある。

『知的生活』は大学に入ってから英語の原書を見つけてところどころ気に入ったところを英語で読んだことがある。

手元に、英語の教材として出版された"Selections from the Intellectual Life"という本がある。三省堂から出たもので、なんと初版は明治30年となっている。古くから教材として読まれたものであることが分かる。

さて、この二つの本、『晩夏』は長編小説で、『知的生活』は書簡体による修養書(?)だが、共通点があるように思われる。

『晩夏』の中で、青年は学識がある老人から様々なことを学ぶ。その教え方というのは授業をするとか講義をするというのでなく教え導くやり方なのだ。これはやさしいように見えてなかなか容易なことではないと思う。

『知的生活』も経験豊かな指導者が若者に宛てた助言として読むことができる。10代の時は10代なりに、20代、30代と読むところが違ったり、その時々で受け止め方が変わってくるような気もするが、少なからず影響を受けていることは確かだと思う。

先に書いた非現代的な、ロハスな生活と知的な生活、これが究極の理想のような気がする。

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