2007年4月アーカイブ

趣味の外国語めぐり

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タイトルが意味不明かも知れないが、これは実際にあった本のタイトル。

高校の図書館に『趣味の外国語めぐり』という古い本があった。奥付を見ると昭和34年に発行された本であることが分かる。在学中に何度かこの本を読んでいた。もともと語学系に進みたいと思っていたので、こうした本を眺めては、何語を選ぼうかと考えていた。

その後、大学の外国語学部に進学したのだが、なぜか最初から英語を専攻しようという気持ちはなかった。結果としては韓国語を専攻し、そこそこ真面目に取り組んでそれなりの結果を残せたので、間違った選択ではなかったと思っている。

専攻語学以外にもあれこれやらなければならないことになって、結構大変ではあったが、このおかげで、勉強の仕方ぐらいは身についたような気がする(肝心の中身が残っていないのでこういったいい方しかできないのが悔しい)。

同じく高校の時、岩波新書で『外国語上達法』というなんとも魅力的なタイトルの本が出た。しかも読んでみると岩波新書らしくなく(?)すんなり読めるのである。この本の帯にある「このコツさえつかんでしまえば......」の通り、外国語の学習にはちょっとしたコツがあること、必要なもの、何をどれだけ覚えるか、教科書や辞書について、等々たしかに有益な内容の本だ。

これを実践すればできるようになれそうな、そんな希望が見えてくる。実際に自分が上達したかと問われると???だが、たしかに書いてあることは正しいと思う。

大学を出てからドイツ語の勉強をはじめたときに、関口存男の教材、著作に出会った。読むことが目的なので、とにかく文法をという気持ちがあったのだが、『関口・初等ドイツ語講座』の序文で気持ちがすっきりするくらい、こちらの希望と一致したのだ。

世に外国語の教材は溢れるほど出ているが、学習者の要望に添ったものがどれだけあるかというと疑問に思うことがある。

さて、『関口存男の生涯と業績』という立派な本があるが、その中にいろいろと面白い文章が載っている。「私はどういう風にして独逸語をやってきたか?」、「くそ勉強に就いて」、「語学の勉強法をあらゆる角度から」、「語学をやる覚悟」などなど。Philologie(文化語学)とLinguistik(実用語学)についての文章などは、本文中にもあるように「如何なる外国語をやる人にも切実な関係のある重大問題」だと思う。

シュティフターをもう少し

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「習作集」という作品集のなかに「曾祖父の書類綴じ」というのがある。

この中に温厚な大佐のエピソードがあるのだが、実にしみじみとした味わいがある。この大佐、昔は賭博好きで、血の気が多く、金遣いの荒い、謂わばどうしようもないような人間だったのだが、あることによって穏やかな、穏和で温厚な人間に変わっていったのだ。

その方法とは・・・

「それは、誰でも現在のあるがままの生活を、心に浮かんだ考えを、ありのままの事件を書き留めるのです。そして封印をして三年か四年したら開いて読むという誓いを立てるのです。ある年配の戦友が、私もその場に居合わせたのですが、ちょうど恋愛問題で悩んでいたあるうら若い女性に笑いながらこのやり方をすすめて、こうしたケースでは効果があると話していたのです。わたしも一緒に笑ったのですが、心の中では自分も試してみようかと考えました。――それ以降このことを話してくれたいまは亡きその人と、その人に正しき時にそれを語らせた偶然に、わたしは幾度となく神様の恵みを祈りました。」

というものだ。

はじめてこの文を読んだとき、なんだか「分かった」ような気がした。

大体、日々のシゴトや生活で悩んでいることなんて、次の日や次の週には解決していたり、好転していたり、どうでも良いことになってしまっているものだ。なぜ、こんなことで悩み苦しまなければならないのか、そう考えると、悩み、苦しみそのものがばかばかしく思えてくる。もちろん、そう単純なモノではないが、あまり悲観しても仕方がないのかも知れない。

他のシュティフターの作品にも、穏和で善良な人々がたくさん出てくる。『晩夏』の「薔薇の家の主人」、『ブリギッタ』の少佐、『石灰石』の牧師、『森の小径』のチブリウス......。

みな善良な人たちなのだが、それぞれに人間くさい過去がある。最初から穏和で温厚なのではない、むしろ若い頃には激しい性格だったのだ。それが年と共に穏やかになったのか、あるいは何か別のきっかけによってまるくなったのか。

年をとっても穏やかになれない人もいるようなので、やはり心がけの問題なのかも知れない。

自分もこの人達のように老いたいと、まだ不惑にも届いていないのだが、そう思う。

いちばんの愛読書

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もう10年以上前からの愛読書で、もともとの表紙がボロボロになってしまい、製本用のクロスを買ってきて装丁し直した。

この本は1994年12月28日に購入したもの。この年の夏に初めてシュティフターの作品に出会って、すっかり気に入ってしまった。彩石集(「石さまざま」)や習作集などから入り、あちこちの古書店を探し回って手に入れたのがこの『晩夏』なのだ。

日付を見てもわかるように、年末の休みに見つけ出したもの。値段はなんと10000円、確かに高い。でも、ほぼ即決で購入してしまった。

『晩夏』の一部を独日の対訳教材にした『思い出』という本も同じところで見つけ(これは5000円)、合計15000円の出費だった。(この金額は福島への帰省費用だったのが、結局このお金は本に化けてしまったのだ)

そして、人に勧めてはいけない(?)本だと思う。

「誰かある人に、あるものが美しいと言うのは、その人に必ずしもその美しさを所有させることにはなりません。ただそう思わせるのが関の山でしょう。自発的にその美を所有できる人に対して、それを妨げる結果になるのは必至です。あたなには、自発的ということを予期していました。それをお待ちしていたのですよ。」

経験豊かな老人が青年に聞かせる言葉。>

ここだけを引用してもわかりにくいかも知れないが、人を導くというのはこういう事なのではないかと思う。

同じ『晩夏』に、

という言葉がある。

さて、今の教育の現状はどうなっているのだろう。

まめまつり

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あした、自作豆本の展示・即売会「まめまつり」がある。

12月にイベントについて知り、1月に申し込みをしたのに、肝心の出品作品がいくつもできていない。豆ファイルと豆ノート(しおりノート)をいくつか販売し、小さな本とアルバムは見本として展示し、このようなものを作りますよ、という案内だけになってしまいそう。

小さな本は、自分が欲しいと思ったモノを作っただけなので世間一般の人が欲しがるモノとは違っているだろうし、だったら、原稿や写真を準備してもらえれば、このような本やアルバムを作ります、って宣伝するぐらいしかできないだろう。

他の出展者がどのようなものを作っているのかを見るだけでもいろいろと勉強になるだろう。今回は初めての参加なので、気楽に眺めるつもりで行って来よう。

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